旅先でのトラブル(続き)

個人旅行について、私の考えや経験をまとめて書きます。

海外旅行に限らず、旅先では様々なトラブルが起こるものです。ここでは、私が海外で経験したトラブルや失敗をお伝えします。トラブルと言えないようなものも含まれていますが...。

 [事例3]Super Super Typhoon直撃と空港閉鎖

海外で身内だけの結婚式を挙げるため、両家の親兄弟と家族をグアムに招待した。2泊3日だったけど、結婚式にかかる費用に加え、両家で併せて10名(うち3名は子供)のツアー料金(飛行機+ホテル)を加えると大きな金額となる。そこで、我々とは異なる、少々安めのホテルクラスを選択した。両家の親族の宿泊先を同じホテルにするように大阪のHISでお願いし、「出来る限りのことをします。おそらく大丈夫です」と言っていた割には別々のホテルだった。

挙式を2日目に済ませ、夜はみんなで浜辺のバーベキューをして翌日はイルカのツアーのはずだったが、挙式当日は朝から風が強く、せっかく早朝からセットした花嫁の髪型が海辺近くの教会に移動する間に崩れないか不安なほどだった。挙式後、今夜はバーベキューのはずがハリケーンが近づいてきたためにキャンセルことをフジタタモンビーチに確認し、仕方なくバイキングで焼肉を堪能する。「明日は台風一過で晴れて穏やかな天気になればイルカツアーだね」といって、それぞれのホテルに分かれた。

その夜、風は益々強くなり、「様子見がてら、水を買いに下に降りよう」とロビーに行くと、そこから19Fの部屋には戻してくれなかった。誘導された先は地下の大広間。人が次々に集まってくる。部屋に戻ることが許されず、不安そうに窓の外を眺める人たち。そこでようやくホテルからの説明「Super Super台風がグアムを直撃して居座る模様。部屋に戻ることは危険なので許可できないが、食料は確保されているので安心して欲しい」。夜が深まるにつれ、窓を叩く風と雨の音が大きくなった。エレベーターの扉は閉じられているが、扉に沿って水が滝のように流れている。「窓ガラスから離れてください」そんな注意までだされた。でもまだ、このホテル(Mariott)はいい。それよりも、親族の宿泊しているホテルが心配だ。

翌日、早朝になって部屋に戻ることが許可された。もちろん、エレベーターは動かない。19Fまでのフロアを見ると、ところどころで天井が抜けていた。僕らの部屋は天井が抜けたり、ガラスが割れるといった被害はないが、電気も水も通じない。トイレしても流れない。そんなことよりも、両家の安否も確認できない。

「みんなのホテルまで行こう」とMariottを出た。道路には、車、電柱やどがひっくり返って散乱し、酷い状況だった。途中のコンビにで1ガロンの水を2本調達し、30分歩くとフジタタモンビーチ。部屋に行くまでに膝上くらいまで溜まった水の中を歩いていかなければならない。部屋に入ると...、何と昨夜ベッドの上の天井が落ちたとのこと。天井が重そうに垂れ下がってきたため、やばいと思って移動した後だったため大事には至らなかった。1階のため部屋の中に水が進入しており、シャワーも浴びられない状態だったが、ホテルから供給される水を上手く使って体を洗っていた。

次の目的地はオハナオーシャンビュー。こちらは多少小高いところにあり、大丈夫かもしれないと思っていたが、大変なことになっていた。まず、フロントのガラスが割れてぐちゃぐちゃ。コンピューターも壊れてしまったとのこと。部屋に行くと、2部屋用意されていたはずが1部屋に全員が入っていた。もう一方の部屋に案内してもらったが、風でベランのガラスが割れ、一気に雨風が吹き込んできたため、もう1つの部屋に避難していた。もう、両家の親族に申し訳ない気分でいっぱいだった。「せめて、同じホテル(Mariott)に宿泊してもらっていれば...」

オハナオーシャンビューの方には、5歳と2歳の女の子、フジタタモンビーチには3歳の男の子が一緒だったが、みんな元気そうで一安心した。オハナオーシャンビューの方は、近くのレストランが営業ということなので、そこで食べてもらった。フジタタモンビーチでは、高いカレーライスの販売をしていたそうなので、小さい子もいるし、今晩は僕達の代わりにMariottのバイキングで食事してもらった。Mariottも他のホテル客の食料までは出せないため、入り口で名前をチェックしている。僕達はコンビニにあるもので適当に夕食を済ませた。

ホテルに戻った後、電話は通じたので、両家の親族とは連絡がとれた。しかし、国際電話はロビーの公衆電話にいかなければかけることができない。グアム空港が閉鎖されているため帰国できないことを連絡したいのだが、電話には長い行列が出来ていた。会社に連絡できたのは、休暇予定時期を過ぎてからだった。

「いつになったら帰れるのだろう」宿泊者みんなの関心はその一つとなった。空港が開く目処が立ち、自分の順番はまだかと繰り返しツアーデスクに出向いたり、掲示される情報を読む。その度に19Fからロビーまで歩いて往復する。風呂にも入れないため、髪の毛はコテコテだし、髭は伸び放題。1Fから自ら水をくみ上げたり、19Fまでホテルがくみ上げてくれた水を使ってトイレを流そうとするが、トイレが故障して汚物が溜まったまま。やけになって、くみ上げた水を使って頭を洗い、体を拭くと少しすっきりした。

空港閉鎖になってから3日目、オハナオーシャンビューに電話すると「帰国した」との話。日本に国際電話を入れると、「昨晩急に旅行会社から連絡が入り、1時間後に迎えにいくとと言われ、(こちらに)連絡する間もなく身支度して空港に向かった」とのことだった。そこからは交渉の始まり。何とか、もう1組の家族を早く帰国させるように現地のHIS、日本のHIS、そして領事館にも連絡を入れた。結果的には、僕達の方の帰国が先に決まってしまった。招待した親族を置いての帰国は非常に気が重かったが、空港からも電話をかけまくり、帰国した。帰国後に知ったことだが、その直後に連絡が入り、同日に帰国できたとの話だった。

12月の季節はずれに、それも超大型の台風がグアムに居座ることによって現地で大変な思いをした。反省はお金をケチらずに同じホテルに宿泊することだった。帰国後に聞いた話では。グアムでの1番の思い出は台風、2番目は銃を撃ったことだそうだ。結婚式のため招待したのだけど、結婚式のことが全く印象に残らないグアムへの旅でした。

帰国後、日本大使館にグアムの人たちが日本人旅行者を大切に扱ってくれたこと、ライフラインの復旧に協力して欲しいことを依頼したが、どうなったことやら。

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