白馬岳山行

不帰キレットを通過することだけを目的に企画した山行でした。

ヤマケイJOYに踊らされた2000年夏
〜ある労山1年生のひと夏の経験〜

初夏の頃月だったと思う、ある雑誌に目を引かれた。その雑誌の表紙には笑顔の男女2人。その後ろには鋭角に尖った山が写っていた。当時、労山2ヶ月生の私はこの有名な山の名前も知らず、でもそれが当然であるかのようにこの雑誌を購入した。

“ヤマケイJOY夏”は北アルプスの特集記事が組まれていた。紹介されていたルートは全部で18くらいだったろうか。どのルートも写真入りで魅力がいっぱいに感じられた。北アルプス未体験の労山2ヶ月生は、どこへでもこの雑誌を携行する“信者”になった。そんな時であった。「槍穂に行かないか?」という話が舞い込んだのは。

白馬岳山行
2000年9月14日〜17日

労山5ヶ月生はリーダーとなった。個人山行とは言え、北アルプスで初めてのリーダー。槍穂縦走とは別の意味での緊張があった。山行計画書や山岳保険の手配、その他諸々。「出発前から山行が始まっている」とこれまたセミナー座学で誰かが言った言葉を思い出す。今回はバスの中で良く眠ることができた。

初日は白馬大池を経て白馬岳に登頂。村営頂上テン場までの行程。9月の連休なのに、人が多い。どこまで列が連なっているのだろう?「何でこんなに人が多いんだ!?」ぶつぶつ言いながら高度を上げていく。救いは天気。雲一つなく晴れている。白馬岳もその姿をアピールしている。“早くこっちにおいで”と。この日のテン場は、近くにHCきたろうのKimuさんご夫妻、ROCKYのメンバーのテントがあり、不思議な気分。みんな考えることは同じってことか。

その日の夜。風が出た。かなり強い。テントの側面が押され、そのため夜中に何度起こされたことか。起きるたびに色々なことを考えた。「今回の目的は不帰キレットの通過だった(ヤマケイJOYの影響)。でも条件が悪いようであれば不帰キレットは諦めよう」、「雪渓を通る場合と鑓温泉に下るのとではどちらが安全か」ネガティブな思考ばかり。本来の“イケイケ”がどこかへ隠れてしまった。労山5ヶ月生のリーダーにとっては悩みだった。自分の中での結論は、「不帰キレットには向かう。しかし、1人でも弱気な発言をしたら、即刻下山ルートに変更」だった。戦闘意欲なしでは危ないと思った。

「当然行く!」2人の反応はこうだった。ならば行こう。出発前の情報では、不帰キレットは難しくないと聞いている。その時の天候は、相変わらずの風。視界も決して良くない。天狗の大下りを過ぎた頃には小雨もぱらつく。「岩がぬれている。2人は大丈夫だろうか?」考えることはそんなことばかり。不帰キレットの核心部は2峰。突然のぼりが始まった。鎖はしっかりしている。鎖なしでも手がかり足がかりは多い。通過してみると、不帰キレットは何でもないと分かった。視界が良ければ、高度感により印象も変わってきたのだろうが…。

唐松岳の小屋で休憩中、「今日はここに留まりませんか?」との発言。理由はどうでも、ついに聞いたネガティブな発言。労山5ヶ月生のリーダーは五竜岳テン場まで行くことをやめた。外は雨+風。加えて2人の疲れから、これは正解だったと思いたい。でも、この時は別の意味で自己葛藤。「くまごろうの一員としては、途中断念すべきではない。五竜岳に向かうべきだ」早く一人前と認められたい労山5ヶ月生は、この晩はずっとこんなことを考えていたのでした。

 北アルプスへの交通手段:さわやか信州号

私は頻繁に北アルプスに出かけていましたが、そのときの移動は主に「さわやか信州号」や「急行ちくま」でした(関西在住だったので...)。

急行ちくまは臨時列車に格下げされ、その後はどうなったのか知りませんが、さわやか信州号は関西圏からも首都圏からも登山者を北アルプスに連れて行ってくれます。

予約は下からもできます。

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