冬の蝶ヶ岳山行

21世紀の初日の出を見ようと、正月の山行を計画しました。

蝶ヶ岳山行
2000年12月30日〜2001年1月2日

 2000年12月30日

冬期中はさわやか信州号の運行がないため、上高地までのアプローチには急行ちくま(松本まで7,860円)を利用した。松本から中ノ湯(釜トンネル入り口)までTAXIを利用すると15,000円になってしまうため、松本電鉄で新島々まで行き(680円/人)、そこからTAXIを乗り継いだ(9,320円)。

釜トンネルの入り口では、大勢の登山者とスキーを担いだ人で溢れていた。「BCみたいだ」近くにいた誰かが口にしていたが、BCはこんな賑わいなのだろうか。入口で山行計画書を提出する。遭対協の人は「蝶ガ岳?今日の天気であれば、1日で蝶ガ岳まで行けるよ。トレースがしっかりついているから」本当にそうなのだろうか。考えながら歩く。「徳沢に11時までに到着できたら、蝶ガ岳に向かおうか?」とKiさんに尋ねる。遭対協の人の話にすっかり乗せられていた。

この日の上高地周辺は天気が良かった。青い空に白く化粧した山、池、川。景色は申し分ない。さすが年末年始。多くの人が入山しているらしく、しっかりとトレースがついている。実はこの日の荷物、Kiさんにとっては最重量であり、始めの快調な足取りが明神の辺りから疲れが見え始める。「蝶ガ岳に向かうのは、当初の予定通り明日にしよう」こう告げるとKiさんに安堵の表情が現れる。それでも、所々で写真を撮ったり休憩を挟んだりした割には夏のコースタイム程度の所用時間で徳沢に着いた。上出来上出来。

徳沢のテン場は冬期の間は無料開放している。僕らは大きな木の横にテントを張った。夜になって気付くとあちこちにテントの花。「こんなに入山者がいて明日は蝶ガ岳の冬期小屋に泊まれるのだろうか?」持参した携帯ラジオは電波の関係か出力が弱く天気予報を聞くことができないが、徳沢園で聞いた情報では明日明後日は天気が崩れる。「天気が思わしくなければ、空身で往復。場合によっては途中で引き返す」このオプションも考えつつ、明日の天気に不安な気持ちを抱きながら早々とシュラフにもぐり込んだ。

 2000年12月31日

この日の起床は5:00。蝶ガ岳の冬期小屋まで5時間と見積もっていたこともあり、のんびりと準備して 7:30に出発。予定のルートを変更、トレースが明瞭な長塀尾根を通ることにした。テントは撤収して担いだ。 天気は雪。登山口は小屋の横であり、突然の登りが始まる。出発時間が遅いためか、周りに登山者の姿はない。Kiさんも重い荷物に拘わらずペースは遅くない。暫く歩くと、休憩している登山者に何度も出会う。みんな冬期小屋を目指している。「もう少し早く出発すべきだったか」気持ちは少し焦る。下山する登山者から「多くの人とすれ違った」と焦る気持ちに追い討ちをかける。

2時間も歩くとKiさんが後れ勝ちになった。「荷物を預かる」と言っても首を横に振る。はいはい、分かりましたよ。達成感を味わってもらうためにも荷物は取り上げないことにする。今日の目的地には遅くとも 3時には到着するだろうから。長塀山の手前、Kiさんの体力は限界に近いのか、足が進まない。樹林帯ではあるが、それでも吹き込んでくる風と雪の容赦ない攻撃によるダメージも受けているのだろう。途中、所々でテントを見かけた。「僕らもこの辺りにテントを張る必要があるのかもしれない」そう考えながら歩いた。

長塀山を過ぎるとテントを張ることのできる場所を探しながら歩いた。その時、ある単独行者から「蝶の手前、樹林帯の終わりにテント設営にいい場所があるよ」と聞いた。時間はまだ余裕がある。「樹林帯の終わりのテン場を目指そう」と言うとKiさんの足取りがよくなった。人間、目標が明確になれば強い。このテン場、実は蝶ガ岳の小屋から 10〜15分であることを知らず、結局そこまで歩いた。最重量の荷物を担ぎながら1,000mの標高差を登りきったKiさん、頑張ったね。

雪は降り続いている。風は冷たく、とにかく寒い。「小屋に入れれば」僕らはザックを降ろして小屋の偵察に向かった。稜線に出ると風が非常に強い。気を抜くとよろけてしまいそうだ。ガスが出ていて小屋が見えないため 10分程歩いて引き返すことにした(後で聞いたところ、小屋はいっぱいだったとのこと)。今晩もテント泊まり。テントを雪の中急ピッチで設営し、転がり込んでストーブに火をつける。暖かいものを飲んでようやく落ち着くが、手袋やら靴やら湿っている。これらを乾かしてさっさと寝よう。この晩は大晦日。松本電鉄の始発を待つ間、コンビニでそばのカップ麺を仕入れておいた。 それが年越しそばになった。

この晩は余り眠ることができなかった。強烈に寒い!持ち物をすべて着込んで、カイロを貼って、足をザックに突っ込んで…やれることはやったはず。ごそごそとテルモスを取り出してお湯を飲む。少し落ち着いてウトウトするが、すぐに寒さに襲われて意識が戻る。羽毛400gのシュラフで何とかしようとは考えが甘かったか。とにかく、寒い〜 !!! 隣ではKiさんが寝息をたてている。テントの外では風のうなり声とテントに打ちつける雪の音。女性の強さ・たくましさを学んだ山行でもあった。

 2001年1月1日

この朝も5:00に起きた。というか、5:00にKiさんを起こした(Kiさん、ごめんなさい)。あまりに寒いので、暖かいものを作って飲みたかったのだ。雪がテントを打つ音は消えていたが、風は相変わらず吠えている。外は…! 雲があるものの、星が出ている!ということは、初日の出が見れる?!6:00過ぎ、僕らはシュラフから這い出て準備を始めた。ご来光を見よう。

この朝、初めてアイゼンをつける。空身。飛ばされそうな風に向かって一歩一歩進む。顔が冷たい。目出帽姿のKiさんは正解だ。出発は7:30だったが、雲の上に太陽がちょうど顔を出す頃、蝶ガ岳の山頂に立った。踏み後がない。 21世紀初登頂か?! しかし、風が強い。寒くてじっとしていられない。雲が徐々にとれて常念岳が顔をのぞかせる。その白く化粧した姿を見ると疲れも寝不足も吹っ飛んでしまう。もう少し、もう少し。もう少し待てば周りの景色が完全に見えるようになるだろう。しかし、ここは冬の標高 2,664mの稜線。長時間留まることができない。徐々に手の指先に力が入らなくなり、痛みを感じ始める。さあ、テントに引き返そう。風に翻弄されながらテントにたどり着いた時、僕らの指の痛みはかなり強かった。僕らは満足しながら ”ホットレモン”で乾杯した。

テントを撤収する頃、空は雲一つない青空になっていた。もう一度、蝶ガ岳からの眺望を見たい。でも、天候の良い今こそ下山すべきだ。今日は距離を稼ぎたい。僕らは下山を開始した。この下山時にはアイゼンを装着。途中、木々の間から見える前穂の雄大な姿が僕らを元気付けてくれる。下りは早い早い。 3時間で徳沢まで下った。さあ、先を急ごう。徳沢園に立ち寄ってすぐ、僕らは小梨平を目指した。

小梨平でテントを張り、テントの中に入ると疲れを感じた。昨晩の寝不足が堪えているのか、それとも体力不足か。夕食後(この日は正月なので、おしるこも食べた)にシュラフにもぐり込むが寒い。 Kiさんは「寒くない」という。何かが変だ。今までの雪山山行では誰よりも寒さに強かったのに、小梨平でさえ寒気を感じる。この晩は暖かい飲み物を多く採って早めに休んだ。

 北アルプスへの交通手段:さわやか信州号

私は頻繁に北アルプスに出かけていましたが、そのときの移動は主に「さわやか信州号」や「急行ちくま」でした(関西在住だったので...)。

急行ちくまは臨時列車に格下げされ、その後はどうなったのか知りませんが、さわやか信州号は関西圏からも首都圏からも登山者を北アルプスに連れて行ってくれます。

予約は下からもできます。

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